よわくてくじけるわたし

永遠に弱くて挫ける私

真夜中にとてつもなく寂しくなり、もしかしたら私の大切な誰かに

何かあったのではなかろうかとスピリチュアルなんて信じもしないのに

昨日の夜は眠れなかった

昔の文字をたくさん読み散らかしては

泣いて泣いて散々泣いて

まるで10代の蛹みたいに

馬鹿みたいに空っぽで痛々しい自分に

また戻ってしまったのではないかと思った

 

岩井俊二の本を読んだ。

昔ならば何でも噛んでも感じとっていた自分がいたけれど今はそんなに心が豊かではないからなのか、

それとも彼の伝えるべき文体が変わったからなのか、私は何にも感じ取れなかった。

 

私は1人でファミレスにいてこれを書いてる。

今日は美容院に行って、好きでもないし聞いたこともないのにアイナジエンドみたいな髪型にしてほしいと言って、髪を整えてもらった。

誰に会うでもない。

 

 

こんな日々を続けていたらいつも何処かしらに私は他人を求めている。

こんな時に繋がれる、呼べば来てくれる、会える人が欲しい。

貞操や世間的なんて気にもせず、呼べば来てくれる人が欲しい。

誰よりも1人になりたがるくせに誰よりも1人が怖い。

ブラインドから光が漏れていて綺麗だなと思った。陽が傾いていて、皆が食事をして、ガヤガヤと話してる喧騒の中で、私は1人でこれを打っている。

 

会いたい。会いたい。誰かに会いたいよ。

 

目を瞑って、3秒数えたら

目の前に笑っているまだ出逢わぬ誰かが

迎えに来てくれたらいいのにな。

 

 

ばかだな、私は。

弱くて弱くてだめだなぁ。

みかこ

私の女の子の親友はみかこしかいないから

悲しくなったら苦しくなったら

いつでもどんなに連絡してなくても

昨日話したみたいに繋がれる

 

今とても苦しくて苦しくて

会いたいと言ったら

会えるよって言ってくれる

 

嫌な事があったよと言ったら

よしよしって言ってくれる

 

永遠なんてないって

変わらない感情なんてないって

私はなんども馬鹿だから

痛い目にあって泣いて泣いて本当に馬鹿なんだけど

みかことだけは多分生涯

死んでしまうまで一緒に居られるんじゃないかなって

人生の折り返し地点まできた今

本当に信じられるんだよ

 

みかこが同性で

同じ言葉を使える同じ感性の人で

本当に良かったと思っている

 

神様、私が死なないようにと

出逢わせてくれてありがとうございます

 

ぎゅうぎゅうと抱きしめたら

きっとみかこは

ははっ、いてーよ!とか言いながらも

笑って

よしよし、あんたは大丈夫だよ

ってずっと居てくれるんだろうな

 

 

そうやってずっと

ずっとずっと

 

ずーっとおばあちゃんになるまで

 

原宿に置いてきたもの

私は原宿が大好きでね。

ストリートファッションもカラフルな服も

ロマンティックスタンダードも

本当に大好きでした。

安いピアスも

少し高く感じるおしゃれなカフェも

さくら亭というお好み焼き屋さんで

別れた後も必ずここで会いましょうって

約束したことも

真夜中は静まり返っている竹下通りで

缶ビールをもってフラフラとして

知らない道とキャットストリート

音楽を分けて歩いたりして

 

もうそれはそれは

大切な思い出ばかりなのです。

 

竹下通りの古い宿舎も

もうなくなってしまった。

 

好きな古着屋さんも

朝方から並んだ福袋も

もうなにもなにも無くなったんだなと思います。

 

 

多分あの時が人生の中で最強で

何も怖いものがなくて

ううん、未来だけが怖くて

あとは全部全部そこにあったので

お金もなくて時間もあんまりなくて

それでも友達と恋人が毎日居て

 

おしゃれで若くて甘くて苦しくて

パリから撮るのに400円払えないから

ダイソーの安いプリクラ撮って満足してた。

 

あの頃を想うと

胸が潰れそうになる。

 

 

馬鹿笑いして代々木公園で見た桜、

もうあの時のメンバーでは見れないんだよね。

 

 

ずっと続くと思ってた。

ずっとずっと友達で恋人で

みんなで近くに住んで毎日おはようなんて言って

家族ぐるみで、明日も明後日も

会えるって思ってたよ。

 

 

今わたしはとっても寂しいよ。

みんなは全然寂しくないのかな。

 

 

 

夢を観れるのか

前の日記を振り返っているとぼろぼろと涙が溢れてしまう

 

もう忘れたなーと思っていても、当時の自分がずうっとそこにいて、

私はここにいるよって囁くように座っている。

 

坂本龍一が死んだよ。

死んじゃったよ。

 

やっと、言葉にできた。

死んじゃったよ。

 

ねぇ、坂本龍一を教えてくれたのは

紛れもなく親愛なる彼でしたね。

 

彼は元気でしょうか。

 

あの頃の彼は笑っているのでしょうか。

その頃の私はこんなに遠くで泣いています。

寂しい町という本

寂しい町という本を読んでいる。

好むうお座が書いている文章だからか、

水っぽさがそこはかとなくにじみ出ていてそれがとても心地よい。

私の記憶の中で、アジアというものの描写は

いつだって懐かしく、帰りたく、

泣きたくなってしまうのである。

これが本当に不思議なのだけど・・・。

 

 

亜熱帯のじめじめとした街に、

粗雑な黄砂の道路を雨が打ち付けている、

私は緑色のチンタオを瓶でかっくらっている様子が本当に容易に想像が不思議でならないのだ。

 

それと共に、今回の小説で出てくる寂しい描写が本当に寂しくて、 他人とは思えなかった。

よく一人ぼっちで未来を考えたり、

この先の身の振り方を考えたり、

ずいぶんと遠くまで感情が来てしまって、

忘れたくなかったことを忘れないように必死に思い出そうと感傷的になったり

(これが本当に最近うまくいかない)

美しいフィルターをかけづらくなってしまっていた今に対して、

本の場所に導いてくれるような作品であった。

 

本当はそうやって寂しさと向き合って、

人生を顧みながら、

しんみりと、

ぼんやりと、

するべきなんだと思う。

 

そうしたアンニュイの雨に時には道軒端で雨を眺めるべきなんだと思う。

 

他人なんて本当はいらなかったんだと思う。

自分だけいれば良かったんだと思う。

 

寂しさを堪能するべきなんだと思う。

 

それが唯一、

私の感性の財産であり、

他人と異なるところなのだから。

夜を蒸すと

夜を捏ねて

夜を丸めて

夜を揚げようか

 

誕生日を迎えてまた一つ歳を獲ったのに

電車の窓から山々が見える遠い場所まで来て

音楽が耳から入ってくると

なぜかどうしてか永遠になんでこんなに寂しいのだろうという気持ちになる

 

なんでこんなにずうっとずうっと

ひとりぽっちだと思ったりするのだろう

 

あの人もこの人もいて

その人たちの生活は私の毎日になんら交わらないし影響もしないのに

どうして些細なことで胸がチクリと痛んだり

何日も何日もジメジメと引きずったりするんだろう

 

私の本体はどっちなんだろう

 

毎日がジェットコースターみたいなわけじゃないし

新宿御苑でフラフープしてること思い出せるほどわくわくそわそわしないし

このままいっそ電車に乗ってまた海でも観て

めそめそ泣いて帰ってこようか

 

なんて。考えたりもした。

 

私はたぶん、ないがしろにされることに慣れていなくて、自分で自分をないがしろにできなくて、人よりも感じやすいこの頭や心を

己の刃物のように突きつけて生きていくしかないんだなと、もう思う。

 

 

夜を深さを

夜で煮立てて

夜を潰して

夜を焼こうか

 

みんな眠ってしまった。

夜に起きてる人なんてだーれもいなくなってしまった。

 

私はいつまで経ってもその誰も来ないキッチンに

立って、

いつでも誰でも受け止められるように夜の下拵えをして

 

疲れてカウンターにポツンと座って

擦り切れるほど聞いた曲をかけて

 

夜を短くなるまでふかしているのでした。

 

大丈夫だと永遠に言って

寂しい時に寂しいと大声で叫び出したい

嫌だと思ったことを嫌だと思い切り言ってしまいたい

 

涙は炎

 

なんていい言葉なんだろう

誰かを救う言葉を投げるのはなんてすごいことなんだろう

 

想いは熱量だ

熱量のある時間や夜を超えて行きたいだけなの

 

BUMP OF CHICKENがタイミングよくライブをするのって本当にすごいと思うの

私のバイタルに合致して音連れてくれるの

すごいなぁ

 

 

あぁ向き合ったよかったな