夜を蒸すと

夜を捏ねて

夜を丸めて

夜を揚げようか

 

誕生日を迎えてまた一つ歳を獲ったのに

電車の窓から山々が見える遠い場所まで来て

音楽が耳から入ってくると

なぜかどうしてか永遠になんでこんなに寂しいのだろうという気持ちになる

 

なんでこんなにずうっとずうっと

ひとりぽっちだと思ったりするのだろう

 

あの人もこの人もいて

その人たちの生活は私の毎日になんら交わらないし影響もしないのに

どうして些細なことで胸がチクリと痛んだり

何日も何日もジメジメと引きずったりするんだろう

 

私の本体はどっちなんだろう

 

毎日がジェットコースターみたいなわけじゃないし

新宿御苑でフラフープしてること思い出せるほどわくわくそわそわしないし

このままいっそ電車に乗ってまた海でも観て

めそめそ泣いて帰ってこようか

 

なんて。考えたりもした。

 

私はたぶん、ないがしろにされることに慣れていなくて、自分で自分をないがしろにできなくて、人よりも感じやすいこの頭や心を

己の刃物のように突きつけて生きていくしかないんだなと、もう思う。

 

 

夜を深さを

夜で煮立てて

夜を潰して

夜を焼こうか

 

みんな眠ってしまった。

夜に起きてる人なんてだーれもいなくなってしまった。

 

私はいつまで経ってもその誰も来ないキッチンに

立って、

いつでも誰でも受け止められるように夜の下拵えをして

 

疲れてカウンターにポツンと座って

擦り切れるほど聞いた曲をかけて

 

夜を短くなるまでふかしているのでした。