寂しい町という本

寂しい町という本を読んでいる。

好むうお座が書いている文章だからか、

水っぽさがそこはかとなくにじみ出ていてそれがとても心地よい。

私の記憶の中で、アジアというものの描写は

いつだって懐かしく、帰りたく、

泣きたくなってしまうのである。

これが本当に不思議なのだけど・・・。

 

 

亜熱帯のじめじめとした街に、

粗雑な黄砂の道路を雨が打ち付けている、

私は緑色のチンタオを瓶でかっくらっている様子が本当に容易に想像が不思議でならないのだ。

 

それと共に、今回の小説で出てくる寂しい描写が本当に寂しくて、 他人とは思えなかった。

よく一人ぼっちで未来を考えたり、

この先の身の振り方を考えたり、

ずいぶんと遠くまで感情が来てしまって、

忘れたくなかったことを忘れないように必死に思い出そうと感傷的になったり

(これが本当に最近うまくいかない)

美しいフィルターをかけづらくなってしまっていた今に対して、

本の場所に導いてくれるような作品であった。

 

本当はそうやって寂しさと向き合って、

人生を顧みながら、

しんみりと、

ぼんやりと、

するべきなんだと思う。

 

そうしたアンニュイの雨に時には道軒端で雨を眺めるべきなんだと思う。

 

他人なんて本当はいらなかったんだと思う。

自分だけいれば良かったんだと思う。

 

寂しさを堪能するべきなんだと思う。

 

それが唯一、

私の感性の財産であり、

他人と異なるところなのだから。